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「佐知香、お客様よ!」 階下のインターフォンから母の声がして、私はどきりとした胸のうち を沈めなければならなかった。決心していたはずなのに、今さらながら おじけづいてしまう自分がいる。だが、今、会って聞いておかなければ、 それはどのみち後悔するに違いない――。 「はい……ただいま。開けます。上がっていただいてください」 佐知香はポットのお湯を適温に温めると、棚から紅茶のセットを用意 した。 「失礼します」 ガチャリと旧式の戸を開けて、佐知香の部屋に現れた人は、背丈こそ佐 知香とあまり変わらなかったが、きびきびとした精悍な動作と、スラリ とした、しかし緊張感のある体躯の印象的な女性だった。強いまなざし、 大きな傷はあるが白く美しい顔立ち。戦場から帰ってきたひと。 「ようこそおいでいただきました。お忙しいところ……感謝します」 なかなか家を空けられない佐知香のために、短い休暇を使って来てもら った。 戦場を翔ける男の人はこんな人に憧れるのだろうか……。美人という のではないが、鼻梁の通った顔、クールな印象を与えるひと。平凡な自 分とはかけ離れた存在。 目の前の紅茶が温かい湯気を立てていた。 「おいしい……」 にっこりと笑うと印象が変わった。あどけない、とさえいえる表情を見 せる。 死地を渡ってきたせいか、ずいぶん大人びた印象だが、歳は佐知香と 二つか、せいぜい三つくらいしか変わらないはずだ。 「アールグレイですね、私、好き」 ほっこりと温かい紅茶は心まで温めてくれるような気がして、佐知香も つられて微笑んだ。 佐知香は自分でハーブティのラベンダーを淹れていた。「匂いが気になら ないかしら」と言うと「いい香り……沈静の効果があるといいますもの ね」とまた微笑む。頬の傷がそのたび引きつるのが痛々しいようにも見 えるが、それはずいぶん古い傷のようだった。 目線がそこに注がれるのを感じたのだろう。 「あぁ、この傷? ふふ、若い頃やっちゃってね。古いものだから、も う痛くないのよ。今度の戦いのものじゃないわ」 顔の傷をこんな風に笑って話せる女性なんているのかしら。佐知香は 圧倒されるような気がして、しかしこの女性の心の優しさのようなもの は、黙って座っているだけで伝わってくるようだった。 女性の名は、佐々葉子。地球防衛軍太陽系周辺地域護衛艦隊旗艦・宇 宙戦艦ヤマトに所属する軍人である。白色彗星との戦いで九死に一生を 得た。瀕死の地球に戻り、ヤマトの勤務が解除になって1か月――生き 残ったわずか18名の英雄の一人であった。 「貴女は加藤……隊長の血縁のようなものだと聞いて。お届けしたい と思って」 佐々はそう言うと、小さなデイバッグの中からボロボロになった手帳を 取り出した。 「三郎さんの! ……」 うなずく。「貴女のことが書いてある。最初の方に、名前と。そして通信 で何をしゃべったか、とか」そう言うと彼女は目を伏せた。 「・・・」 佐知香は震える手で、その皮製の小さな手帳を取った。 「……最初の方に、“山吹の花――”と書かれているのは、貴女のことで しょう?」 三郎がそのように自分を言っていたとは知らなかったけれども、佐知香 はうなずいた。 加藤三郎と山吹佐知香は幼馴染であり、彼女にとって彼は兄であり憧 れの人だった。勉強ができて優しくて、カッコよくて。何でも人に勝ち を譲ったことがないくせに偉ぶったところがなく誰にでも好かれる三郎 が自慢だった。幼い恋とはいえ、初恋の人であり、幼心に将来は結婚す るんだ、と思っていた。 いつの頃からか子どもの夢は終わり、現実が迫ってきても、二人は相 変わらず仲良く、互いに行き来していたといえるだろう。だが、感情の 方はどうだったのか。三郎はいつも上を、前を見ている 男性だ ったし、その先に自分の姿があるのか、一つ年下でどちらかというと内 向的な少女だった佐知香は不安だった。 何の約束も、なかった。宇宙戦士訓練学校へ入学した三郎は、どんど ん遠い存在になっていったし、たまの休暇で帰ってきても、その目は遥 か遠くを見ているように思えたから。そんなに遠くまで、私はついては いけない――そう思わせられた。 遊星爆弾が落ち始め、宇宙戦艦ヤマトが最後の希望として建造された 時、その戦闘機隊長という大任を任された。そんな三郎は佐知香たち一 家の誇りでもあったが、果たして生きて帰れるかどうかもわからない旅 だ。選んだ職業の宿命ともいえたが、その辛さに、佐知香は耐えること はできなかった。 約束はなかったのだ。 愛している人の言葉なら、待てたかもしれないのに。三郎は、その過 酷な旅から生還したにもかかわらず、その1年間は月面に行ったきりだ ったし、連絡はくれてそのたびいつも優しかったが、その優しさは“妹” に対するものと同じ気がして。二度目の旅立ちの前には、言葉すら残し ていってはくれなかったから――。 「私は、加藤三郎さんの、部下でした」 少ない言葉だったが、その言葉には重みが感じられた。 (部下――) 彼の指揮で飛び、一緒に戦い、お互いに守ったり守られたりする関係。 それはどういうことなのだろう。きっとワクワクする体験だったに違い ないし、でも、そんな一言で片付けられるようなものでもなかったのだ ろう。――想像もできない世界。 「命のやり取りをする戦闘機隊の仲間たちは、強い絆で結ばれています。 ……特にヤマトでは」 重い口調だった。死んでいった仲間たちの顔が浮かぶのか、何かに耐え ているようだった。 「それで、三郎さんは……」 生存者と戦死者の報は真っ先に伝えられたから、知っていた。 「その死に様を、伝えたいと思いました。あいつが」 ここで佐々は言葉を切った。親しかった女性の前で、つい仲間うちで呼 び合った呼称で言ってしまったが、外部の人にはむしろそのつながりが 辛いかもしれないのに。 「加藤さんが、どのようにして地球を守り、敵と戦い……そして、私た ちを守って亡くなったか――」佐々は顔をそむけるようにして、一気に そこまで話した。 佐々も死に目には遭っていない。ただ古代艦長代理から聞いた話だけ だ。だが、佐渡やユキからもその最期を伝えられ、その加藤の顔は生前 の姿とともに鮮やかにまぶたに浮かぶ。――泣けなかった。涙が乾いた まま。この痛みを分かち合える仲間とだけ、ともに泣くことができる。 一人では、泣けなかった――。 コスモタイガー隊の生存者は、わずか5名。白色彗星本星との戦いで 重症を追い、最後の決戦に参加できなかったメンバーだけだ。腕を、目 を、身体を損傷し、中には前線に復帰できなくなった者もいる。 「待って……待ってください」 佐知香は、佐々を止めた。 「まだ……やっぱり、ダメです。私、聞けない」 彼女は直感していた。おそらく、誰よりもヤマト戦闘機隊長としての 加藤三郎を、三郎さんの本当の姿を、この人は知っているのだ。それを、 受け止める勇気があるか――本人が失われてしまった今、その真実を知 る勇気が? 佐知香にはまだ辛すぎて、その勇気が持てないことが、今、わかった。 「ごめんなさい、せっかく大変な中をいらしていただいたのに…… ごめんなさい」 涙をこらえるのが精一杯だった。 この女性はどんなに辛い思いをしてきたのだろう――なのに、 私はたったこれだけで、これだけでも耐えられないのか。佐知香はさら に自己嫌悪に押しつぶされそうになって佐々の顔をよく見られなかった。 「それが当然です――私も思いやりのないことをしまして」 佐々はそのまま、立ち上がった。 「……彼の遺言のような気がしていたのです。私も、貴女にお会いして みたかったから」 その言葉はすっと佐知香の胸に届いた。 (え? 私に?) 佐々葉子はまっすぐな目をして佐知香を見ていた。 「えぇ……加藤三郎の愛した人に」 そう言うと、ぺこりとお辞儀をして去ろうとする。 「待って!」 佐知香は慌ててそれをとどめようとした。 ちょっと驚いた顔をした佐々だったが、ふっと笑って 「私の連絡先です」 と一枚のカードを机の上に置いた。 「あと1週間程度しかおりませんが、そこへご連絡いただければ呼び出 してもらえますので」 地球防衛軍の関東方面基地だった。さほど遠い場所ではない。 目を見開いたまま佐知香は目の前の女性と机の上のカードを見ている。 「やはり話しておきたい。――もし決心がつかれたら、訪ねていらして ください。……それに、加藤さんが飛んでいた世界をご覧になるのもよ いでしょう」 それだけ言うと、去っていった――。 (鮮やかなひと――) それは佐知香に強烈な印象を残した。 |
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