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−−『完結編』後の世界
−−A.D.2209年初夏 〜お題 No.61「翼」 ![]() はっ! 勢いを付けて平行棒に飛びつき、その身体を投げ上げる。弾みがついた下半身 は腕を基点に高く上がり、大きな弧を描いて腰から回転した。 スラリとした肢体が宙に舞った。 いくつかの回転と倒立、をこなし、片手から着地に入ろうとした途端。 片手がそのバーを掴み損ねたのか、ずるりと滑る感じがして、その身体は空中 から落ちてきた――かと思いヒヤリとしたが、途中で体勢を立て直し、なんとか前 方に身体を振り出して着地する。 パチパチ、と拍手が沸いた。 ほぅと上を向いて、傍らに置いてあったタオルを引っつかむと、汗を拭きながら 佐々葉子は近寄ってきた。 「貴方のママは凄いわねぇ」 と傍らで見ていた女性が、抱えている幼児に語りかけるのに、子どもはばぶばぶ と、こちらを向いた彼女に手を伸ばす。 「――やっぱり、鈍ってるな、完全に」 と汗を拭きながら、坊や、こっちへいらっしゃい、と言って、親友の腕からわが子を 抱きとった。 「でも、たいしたものね……以前やってたのでしょう」 古代ユキは、その姿にそう語りかけた。 「だめだわ…なんだか元にもどらなくって。器械でもやってみようかと思ったんだ けど」 佐々が加藤四郎の息子・大輔を産んで3か月。そろそろ訓練も開始しないと 身体が鈍る一方、と思い始めて数週間。いくら休職中とはいえ、戦闘士官たる 者の不安は、ユキたち同じ軍属でも非戦闘員にはなかなか理解してもらえないか もしれないと思う。しかも彼女は一級の戦闘機乗りで、常に激しい緊張と集中力 に晒される現場をくぐりぬけてきた。 産後少し体調の回復が遅れたこともあって、本来なら2か月過ぎた頃には基礎 訓練に戻りたいと思っていたのが、うまくいっていなかったのだ。 「ねぇ、大ちゃん。…ママはちょっと考えすぎでしゅよね〜」 子どものほっぺをつつきながらユキはそう言って笑った。 だってさ。 今の段違い平行棒だって、思ったように身体が動かない。重心の捉え方がズレ たような気がして、身体が重いのよ――ユキはそんなことなかった? 私は……もともとそんなに激しい訓練を受けていたわけじゃないから。 でもそうね、進さんについていけるようになるにはやっぱり時間がかかったわね。 佐々の体操競技は少女の頃の特技でもあった。10代の前半はクラブチームに 所属し、大会に出ないかといわれた程度の腕前である(クラシックバレエもダンス も、そのために習った)。だが訓練学校に入ってからは、授業でこなす基礎教練の ほかはこの世界には触れていない。 訓練を始めた頃を思い出してみようか――戦闘士官が自ら課す教練ほどはキ ツくない――そう思って、訓練学校の体育館を借りにやってきていた。 ユキは今日は乳母役。まだあまり出歩けない息子であるが、連れてきていた。 葉子とユキも、久しぶりに会うので(ユキが多忙なため)、女同士連れ立って出か けるのもまた楽しいというところか。 「お前はいいのか、付き合わせるだけで済まないね」 と葉子が言うのに。 「私はやろうと思えばいつでも、だから大丈夫よ。ランニングくらいはしているし、 今日も朝から進さんに絞られたところだから」 と笑う。 古代は現在、地球寄航中だ。2週間のドッグ入りの間、半舷休暇と訓練学校へ の臨時教官に来ている。 二人の一子、守は、久しぶりにパパと水入らずを過ごしているというわけだ。 佐々は現在、大学生の身だ。訓練に戻るのは急がないだろうとはいうものの、 不安なのは自分自身――もしかして、航宙機に、乗れなくなってしまうのでは ないか、という不安。だが少しずつは感覚を取り戻してきていた。 感覚が――つかみたい。あの足の下から湧き上がってくるエンジン音と、その 瞬間に動作するメーターと、それに反応していくほとんど無意識の、マシンと化 したような自分。意識はその上を跳び、宇宙空間を視認する。 そして、光を追い、駆ける……。飛びたい――。 もう実際、丸10か月飛んでいなかった。――当然のことながら。 飛べないことがイヤなのではない。今はこの子がいるから。そうではない、 そうではなくて……不安なのは、飛べなくなること。 10年かけ、この手に、この身についた感覚を失ってしまうことだ。 ![]() 「久しぶりに飛んでみるか」 帰ってきた四郎がそう言った。 「古代さんが明日、模範飛行するっていうから。俺も付き合うんだ――」 さすがにそれに同行しろとは四郎は言わない。今の佐々にも、ちょっとそれは 重荷なので。 「へぇ――二人で? それとも」 「あぁ。ほかにも馴染みの教官が数人。――アクロバットはあまり得意じゃない んだけどな、俺も古代さんも」 軍のPRのためや空軍のキャンペーンで年に1度か2度はショーを見せたり することもある。もちろん、演習の模範飛行を行なうこともあるが、明日は後者の 方なのだそうだ。 模擬戦や戦闘シミュレーションばかりでは殺伐としているから。 ……確かに、空行く航宙機は、大気圏内でその姿を見るだけでも美しいものだ。 ――平和の象徴でもあるのだろう。 アクロバットが得意でない、というよりも、そういった無駄な飛行があまり 好きではないだけである。実際の戦闘になれば、アクロバットどころではない 空中戦もあるし、小惑星帯の中を全力で抜けながら艦と併行して飛ぶだけでも、 一歩間違えれば棺おけ行きの危険な技術を伴う。 それは、障害物の無い空を揃って空転するよりも、よほどの技術が必要だし、そ の姿は艦橋から見ていれば美しい眺めなのだ。 だから敢えて。――そんな状況を作り出さなくとも。 シンプルに、美しいラインを描き、無駄の無い飛行をする――それこそが最も 美しいと四郎も葉子も思っている。そして、スピード感や動きの判断力。 佐々のセンスはそういったところに生かされると言ってよい。 だがしかし。 大空を舞う航宙機はそれはそれで美しい眺めだ。 「来るか?」 「大輔を預けられるかしら」 「あぁ、預けて出かけられるなら、そうしたら」 「ユキも来るでしょう?」 「いや、森さんは仕事だって」 「そりゃ残念」 「うん、残念がってた。古代の飛行を見れる機会なんてめったにないからな」 「そうね」と佐々は笑って。 「貴方、調子に乗って空中で二人で遊ばないでよ」 と言うと、四郎は悪戯っぽく笑い、「おや。バレてたか――まさに“それ”が楽し みでメンツ組んだみたいなもんだからな」と言う。 訓練生が目をむいて気絶しても知らないぞ、というと。 「今年のメンバーはなかなか面白いのがいるから、巻き込んで遊ぶのさ」と。 そのあと、機体使っていいっていうから。 と四郎はそう促して。――うん、よければ、乗させてもらうわ。 ちょっと不安に思いながらも、やっぱり胸が高鳴った。乗りたい――ドキりとして。 ねぇお願いがあるんだけど。 ん? と四郎は返す。 あのね――複座にして一緒に乗ってくれないかな。 不安か? と四郎が訊く。――うん、正直言うとね。とても。 そうか、ならフォローしてやるから、安心しなよと笑って、顔を寄せて髪に手を やると、軽く口付けた。頬を少し染めて、ありがと、と佐々は返した。 |
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