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「澪も中学三年生だし、家庭教師をつけようかと思うんだが…」 普段あまり教育についてうるさくない父親が、急にそんなことを言い 始めて、姉の澪は驚いて、え? と言った。 「研究所にとても有能な男がいてね。ただ、彼は苦学生なんでアルバイト を探しているんだよ。どうだろう、教えてもらうのは嫌かね?」 なるほど、特に娘の成績に不安を持っての提案ではなかったのかと、 澪は安心して「私はかまわないわよ」と答えた。 「志朗はどうだ?」「ええーっ。僕はまだいいよ。遊んでいたいもん」 志朗は小学校4年生。絵を描くことも好きだが、サッカーやバスケットも 大好き。好奇心が旺盛で、とにかく何でもやりたがり、一日が30時間 あったらどんなにいいだろうかと、本気で思っている少年だった。 家庭教師と勉強なんて、考えただけでげんなりする。 「でも、志朗には必要でしょ? 全然勉強なんかしないじゃないの」 肩をすくめ、ちょっと意地悪そうに澪は志朗を見た。 「やめてよ、姉さん!」ぷっとふくれて姉を睨む。 澪は、こんな調子でよく志朗をからかった。凝り性で、あらゆることに 夢中になると、他のことは何も見えなくなってしまう弟は、からかい相手 として面白かったのであろう。 父は研究が忙しくなると、帰ってこない日も多く、母はそんな父の側で 助手を務めていたため、夫婦揃って留守の日が多かった。「仲のいい 夫婦も考えものよね」と笑いながら、姉は母親代わりとしてよく家事を こなしていた。澪はさっぱりとした性格で、志朗の友だちが遊びにくると、 「一緒に野球でもしようよ」などと、率先して道具を引っ張り出し、 志朗の仲間うちでも人気があったし、志朗が何かに没頭して、時間を 忘れているときなどは、そっとしておいてくれるような、理解のある 優しい姉だった。 父は無理強いをしなかった。 「そうか。じゃあ、澪だけでいい。ただ、来週初めて彼が来たら、きちんと 挨拶ができるように、志朗もその時間は家にいてくれよ」と、 朝食後のコーヒーを飲み干し、母と二人で出かけていった。 真田志朗の父は、ロボット工学の大学教授である。 面倒見がよく、彼を慕って多くの学生がこの大学を目指してやってくる。 そんな父が「有能な男」とたいへん目をかけているのが、研究員の 針生誠であった。 緊張した面持ちで、初めて真田家を訪れた針生は、しゃちほこばって 「よろしくお願いします」と、玄関で頭を下げた。 出迎えた志朗がくすっと笑うと、緊張が解けたのか針生もにっと笑い、 志朗の手に直径10センチほどのロボットを乗せた。 「志朗くん、だね?これはお近づきの印にプレゼントするよ」 細い足が8本あるクモ型のロボットは、とても軽かったが、針生が 「アップ」と声を掛けると、するすると志朗の腕をよじ登り、肩に止まった。 「すごい! どうしてこんなに滑らかに動くの!?」 目を丸くして肩の上のロボットをみつめる。 「うん。澪さんの勉強を見ている間に、秘密を教えてあげるよ」 針生は真面目で、教え方がうまく、家庭教師として彼が教え始めてから、 澪の成績はぐんぐん上がっていった。そして澪が課題を解いている間に、 志朗にはロボットについて実に分かりやすい講義をしてくれたのだった。 「ご覧」 クモ型ロボットS-8号をリビングのテーブルに置き、かばんの中から精 密製品用の小さな工具一式とルーペを取り出し、針生は慎重に背中の 部分を取り外した。 「あっ!」「しっ」志朗が声を上げたとたんに蓋を閉める。 「小さな部品が多くて、息で飛んでしまうことがあるんだよ。マスクを しておいで」そう言って、自分もマスクを装着する。 8本の足のそれぞれの付け根には、小さなベアリングが1個あり、それ より更に小さなベアリングが5個、その周りを取り巻くように置かれ ていた。 「球体は角がない。だから滑らかに動くことができるんだ。このベアリン グの小ささと精巧さが、ロボットの動きの全てを決めているといっても いいんだよ」 ルーペでのぞかなければ分からないほどの大きさ。この小さなベアリン グを限りなく誤差の無い球そのものにする――。それは、とんでもなく 果てしない技術の集結だろうと、小学生の志朗にも想像できた。 窓からの日光を受け、銀色に光るベアリングと、その他の部品ひとつ ひとつを、とても美しいと志朗は思う。食い入るように内部を見ている志 朗に、針生は「さすがに教授の息子さんだなぁ。興味があるんだろう?」 くすりと笑って、背中の蓋を閉じた。 「この工具を貸してあげる。今度僕が来るまでに、部品を全部バラバラ にしていいよ。そしたら、今度はふたりで組み立てよう」「本当? いい の?」「ああ。このロボットは君にあげたんだから、壊れても怒らないよ」 志朗はすぐに空き箱を持ってきて、細かく仕切り、部品を納めるための 用意をはじめた。 翌週、針生がやって来るのを志朗は庭の芝生に立って待っていた。 「やあ志朗くん、どう? 部品は全部そろっているかい?」 にっこりと微笑む針生が近づこうとすると、 「待って、針生さん。そこに止まっていてね」 志朗は続けて「アップ!」と言った。 S-8号が、針生のズボンの裾から、這い登る。「なんだい? 分解して いなかったのかい?」「ストップ!」S-8号は針生の髪の上をすべるように 上って、耳のあたりで止められた。「ハンド!」 「え?」前足2本がぐっと伸ばされ、針生の眼鏡のフレームを押し出して 取り外し、芝生の上へ落下させた。 「これは――?」 「前足のコネクターを反対に付けてみたんだ。伸びて縮むだけなんだけど、 面白いでしょう?」得意げににニコニコと笑う志朗を、針生は呆然と見た。 「じゃあ、君は分解したのか?」「うん。それで組み立てなおしてみたの」 「教授が手伝ってくれたの?」「まさかぁ。こんな面白いことは、ひとりで やらなくちゃ♪」 針生は鳥肌が立った。ロボットの内部を見ることすら初めてだった、わずか 10歳の子どもが、たった1週間で細かい部品まで解体し、組み立て直 したというのか。 「すごいな…」「そう? こんなのは、ただのいたずらだよ?」 しかもコネクターがどんな働きをするのか知らずに、いたずらしているうちに 発見し、改良を加えたと言う。 この子は…天才に違いない。 そもそも、真田教授の血を引いているのだ。 それから針生は、志朗にロボット工学のいろはを教えることにしたの だった。 まるで本当の兄と弟のように、ふたりは常に間にロボットをおいて一緒 だった。新しい未知の世界に志朗はのめり込み、充実した一年があっと いう間に過ぎる。澪は難関と評判の高校に余裕の成績で合格することが 出来た。 春休みに入り、針生は引き続き真田姉弟の家庭教師を続けることに 決まっていたが、澪の合格祝いに、新しく出来た月の遊園地へ行こうと いう話が持ち上がった。 「ねえ、針生さんも一緒に行くでしょう? ね、お父さん、いいよね?」 すっかり針生になついた志朗は、一緒に行きたいとねだり、両親も反対 するどころか一緒に行こうと話を進める。研究に忙しく、家族揃って 旅行することなど、数えるほどしかなかった真田家にとっては、久しぶり の大きなイベントである。 嬉しくて、はしゃいで、とても幸せだったあの日―――。 事故は起こってしまったのだ。 |
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