夏休み

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 庭の片隅に、進が生まれた記念に植えた、椎の木がある。
木の周りには、いく粒ものどんぐりが落ちていて、小さいながらも一人前だと主
張しているようだ。
その木の根元に、白い墓標を立てて、ノコ丸は埋葬されていた。
兄弟は、隣に穴を掘り、白いハンカチでくるんだギリーを入れ、完熟のバナナも
一緒に埋めた。
進はただ泣きじゃくっている。
土をかけ終え、守が立ち上がった時、しゃがんだままの進が
「兄さん、天国ってあるの?」と、涙声で呟いた。
まだ小さい弟が、生まれて初めて体験した、愛する者との惜別を、自分が与え
てしまったことに、守は激しく後悔している。
こんなにも強く愛し、こんなにも悲しむとは想像以上だった。
「俺はあって欲しいと思っているよ。いや、きっとある」
死とか、死後の世界とかを想像するには、まだ弟は幼すぎる。そうも思ったが、
こんな結果を招いたのは自分なのだから、弟が納得するまで側に居てやろうと
思っていた。
「天国には、人間じゃなくても行けるの?」
「もちろんだ。神様っていうのは、人間をとても愛しているから天国を用意した
んだ。その人間の愛した生き物を、神様が無視するわけないだろう?
動物だって、魚だって、虫だって、入れてくださいと願えば、天国に行けるに決
まっているさ」
宗教のことなど全く知らない守だったが、心からノコギリクワガタを心配し、
死後のことにまで心を砕く弟が、ただ愛しく、安心させてやりたかった。
進は立ち上がると、
「神様! ノコ丸とギリーは僕の大事な友達です! たくさん思い出をくれた、
とてもいいノコギリクワガタです! どうぞ、天国に入れてください! お願い
します!!」と大きな声で叫んだ。
小雪が舞い落ちる天に向かって放たれた、生まれてはじめての進の祈りは、
まるで神に向かって吠えるようだった。
こんなに一途に愛することのできる弟は、もし俺や両親が死んだら、いったい
どうなってしまうのだろう。
守は脳裏に浮かんだ不吉な考えを、頭から振り払うと、
「進、また今度の夏も、ノコギリクワガタを貰ってきてやるよ」
と言ったが、進は首を振って
「ううん、いらない。それはノコ丸とギリーじゃないもの。それに、もう生き物
を飼うのはやめる」
と、寂しそうに答えた。

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 月日の流れが、進の心を癒してくれるだろうか。
両親の話では、ごく普通に生活をしているようだが。
生き物自体が嫌いになったわけではなく、自分で飼って死なせてしまうことに
抵抗があるのかもしれない。
すっかりノコギリクワガタの話をしなくなった進は、わざと平静を装っているの
ではないかと勘ぐりたくもなる。
あの日以来、守は小まめに実家へ帰り、進の様子を伺うようにしていた。
1泊2日での帰省は、正直なところキツイのだが、あの泣き顔を思い出すと、
危うくて放っておくことが出来なかったのだ。
 ずっと兄弟を欲していた守は、母のお腹に赤ちゃんが宿ったと知った時、
誰よりも喜んだ。
産まれたばかりの弟が、ちゃんとその小さな爪の備わった指で、教えもしない
のに、母の乳房に両手を行儀よく添えておっぱいを飲む姿に新鮮な感動を
覚えた。
自分の人差し指を、強い力で握り締めてダアダアと話しかけられ驚いた。
可愛い二本の歯を見せて、這って寄ってくるようになってからは、仲のよい
兄弟として育った。10も歳が違うのだ。もちろん喧嘩なんかしたことがないし、
泣かせたことなんかない。
自分を慕ってくれる進がかわいくて、自分から子守りを買って出ていたくらい
の守だったから、今回の進の涙には自分もショックを受けた。

 もっと分かりやすく「冬は越えられないけど」と、なぜ一言添えてやらなかった
のだろう。
 どんなに後悔しても時は戻らない。
苦い思いを噛み締めて、心の中で何度も進に詫びた。

moonアイコン
 
 ようやく訪れた春休み、守は進とたっぷり遊ぶ覚悟で訓練学校を後にし、
実家へ向かう。
見慣れた幹線道路の、見慣れたバス停で、いつものように弟は手を振って
待っている。
「お帰り! 兄さん!!」
「ふふふ。しょっちゅう帰っているのに、嬉しそうに迎えてくれるんだな」
守は、進の頭を撫で、「今度は1週間休みがあるから、キャンプでも行こう」
と、進が飛び上がって喜びそうな計画を口にした。
「本当!? やったー!!」
実際に、ぴょんとジャンプをひとつして、進は守に抱きついた。
「本当だとも。バーベキューをしよう。夜はテントを張って、一緒に宇宙を見る
んだ。寝袋で寝るんだぞ。楽しそうだろう?」
「うん! うん! 僕も準備を手伝うよ!」
満面の笑みを浮かべた進を見ていると、どうやら安心して良さそうだと、守も
安堵の微笑を漏らす。
「ところで、お土産があるんだ」「なあに?」
荷物の中から新聞紙で包んだ飼育箱を取り出したとたん、進の顔色は曇って
しまう。
「もうノコギリクワガタはいらないって言ったよ」
しかし、守はお構い無しに新聞紙を取り払った。
「あっ!」
1/3ほど土の入った飼育箱は、ノコ丸とギリーを入れていた物に違いなく、あの
時のまま、クヌギの切り株も置かれていた。飼育箱はノコギリクワガタをくれた
友人に返すからと、守が引き取っていったのだ。
その飼育箱の隅に、大鋸屑おがくずの詰まった 菌糸瓶きんしびんが入れられており、その中に
頭があめ色をした蛹が見て取れた。
「ギリーは卵を産んでいたんだよ」
守は、切り株を裏返して見せた。
切り株の裏側は、噛み砕かれて柔らかくなっていた。ここで卵は幼虫になり、
守が取り出して菌糸瓶に移したのだと言う。
菌糸瓶の中で、幼虫は蛹室ようしつを作り さなぎになった。既に頭には角の形が見られ、
オスだと判断できる。
「…すごい…」進は食い入るように、6本の足を丸めて成虫になる日を夢見て
いるだろう蛹を見詰めた。
「ノコ丸とギリーは死んでしまったけど、ちゃんと命を残したんだよ」
守も一緒に飼育箱を覗き込んで、進に話しかけてやる。
「――この子、成虫になるまで僕が預かっていい?」
長く黙っていた進が、ようやく口を開いた。
「もちろん、そのつもりで持ってきたんだよ。夏休みになったら、今度はこの子
の命を繋ぐために、友達の雑木林へ逃がしに行かないか?」
ぱっと、進の顔が明るくなった。
「うん! そうしたら、この子の仲間がいるよね? 結婚して、また卵を産む
んだね」
 守は膝をかがんで、目線を進に合わせた。
「なあ、進。ほんの僅かの寿命で終わってしまうほど、命ってやつはちっぽけ
なものじゃないのさ。こうして命は繋がっていく。虫だって生き物だから、
人間と同じさ。命を受けて、寿命が尽きるまで精一杯生きて、次の世代に命を
繋いでゆく。そして広がっていくんだ。地球いっぱい、宇宙いっぱいに広がって
行く」進は守から目を逸らせず、じっと聞き入っていた。この説明で、進が
どれほど理解できるかわからない。しかし、守は話したかったのだ。
「だから進、怯えちゃだめだ。ノコ丸とギリーが死んだのは、お前のせいじゃな
い。お前に愛されて、こうして命を残すことが出来て、ノコ丸とギリーは幸せ
だったよ。進も、俺も、地球に満ちるすべての命が、こうして繋がって、広がって
ゆくんだ。素晴らしいとは思わないか?」
進は力強くうなずいた。
「うん。凄いよね。僕、命が途切れないように生き物を大切にするよ。父さんや
母さんのことも、大事にする!」
よかったと、心からほっとして、守は進と手を繋いで家路に着いた。
片手でしっかりと菌糸瓶を抱える弟の影は、あの夏より少し背が伸びたようだ。



 命と向き合え。進。
いつかお前も宇宙に出ることがあれば、その漆黒から青い地球を見るときに、
そこに育まれる命を思う日が来るだろう。
今のままの優しい気持ちで、大きくなれ。
守は、常に兄として、その前に立っていてやりたいと願った。

(2005年6月5日初稿)

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