夏休み

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 その夏休みは、進にとって、特別な毎日となった。
オスのノコ丸と、メスのギリーと名付けたノコギリクワガタを、大切に大切に飼
育し、観察し、日記を付けて過ごしたのだ。
夜行性のノコギリクワガタに生活を合わせる為に、昼寝をして夜に備える。
ストレスを極力与えないように、そっと隠れるように見守りながら、様々な媒体
から、飼育についてのノウハウを検索し、良かれと思うことは何でもやった。
守が訓練学校へ戻ってしまってからは、メールで観察日記を送り続け、守は
ノコギリクワガタをくれた友人と共に、その執着ぶりに感動したものだ。
完熟バナナが大好きなこと。
完熟バナナにショウジョウバエが大量発生して母親に叱られたこと。
飼育箱の蓋との間に新聞紙を差し入れることでハエの発生を抑えたこと。
腹の裏側に付いた白いダニを、歯ブラシを使ってこそぎ落としたこと。
小学1年生とは思えない奮闘振りに、両親も兄も舌を巻いた。
夏休み中の自由研究課題は、もちろんノコギリクワガタの観察で、学校から
賞をもらうほどの出来栄えだった。
 しかし、10月のある日、ノコ丸は死んでしまった。

moonライン
 
10月11日
学校から帰ってきたら、ノコ丸が裏返って死んでいた。
裏返った所につかまる物がなかったので、自分で起きられなかったの
だと思う。舌が伸びたまま死んでいたので、お腹がすいて死んだのかも
しれない。ゼリーはたっぷり置いてあったのに。
足場になる物を入れておいてやればよかった。

10月12日
ホームセンターでクヌギの切り株を買ってきて飼育箱に入れた。
ギリーは気に入ったみたいで、ガジガジと顎で噛んでいる。
遊んでいるのか、顎がかゆいのか、ノコ丸がいなくなって寂しくて八つ
当たりしているのかわからない。
でも、嫌いじゃなくてよかった。
もっと早く買ってやればよかった。

10月30日
寒いせいか、ギリーの動きが遅い。
餌もあまり食べない。
舌が出ていないので、お腹はすいていないみたいだ。
ハムスター用の小さなヒーターを父さんに買ってもらった。
温度計も取り付けた。

11月16日
今日も、もぐったまま出てこない。
冬眠するのかな。


moonライン
 
 守が1ヶ月にわたる長期宇宙航海訓練から戻ってみると、進からの観察メー
ルが溜まっていた。
守の胸は嫌な予感に覆われる。
こんなにも可愛がって育てているノコギリクワガタが死んでしまったら、進はど
うするのだろう。
日記の内容からは、確実にギリーが弱ってきていると推測できる。
訓練明けの三日間の休暇で、守は進に会いに行くことに決め、すぐに支度を
整えて自宅へと向かった。
 もう12月に入り、街にはクリスマスムードが漂っている。
連絡もしないで帰ってきたので、家に入ると、びっくりした進が出迎えた。
「兄さん! どうしたの?」
「宇宙訓練が終わって、ちょっと休暇が取れたんだよ。進の観察メールを読ん
で、ギリーに会いたくなったのさ」
いつものように進の頭を撫でながら、守は優しく答え、
「ギリーはどうしている?」と聞いた。
「うん。やっぱり、ノコ丸が死んじゃってから元気がなかったんだけど、最近は
冬眠したみたいで、全然出てこないんだよ。飼育箱を持ってくるね」
無邪気な笑顔で進は自分の部屋から飼育箱を持ってきた。
まだ新しく、齧ったあとの無いゼリーが置かれている飼育箱の蓋を、守は慎重
に開け、土の中に指を入れてギリーを探し当てた。
「ダメだよ、兄さん!そっとしておかないと…」
左手にギリーを乗せると、守は口を寄せて、はあぁっと温かな息を吐きかける。
「兄さん?」
ギリーはぴくりとも動かない。
「…進。ギリーはもう死んでいるよ」
告げるのは辛い。けれども、事実はいつか受け入れなくてはならないだろう。
「嘘だ!!」
睨むように守を見上げて、憤然と進は怒鳴った。
「冬眠しているんだよ! 暖かくなれば起きるんだ! だって、死んだら腐る
でしょう? 匂いだってするんでしょう? ギリーは死んでなんかいないよ!!」
その目から涙がこぼれ出るのを、守は直視できないほどに苦しかった。
「甲虫類は腐らないんだよ。乾燥してバラバラになることはあるけれどね。
ノコギリクワガタの成虫は冬眠なんかしないんだ。ギリーは土の中で静かに
死んだんだよ」
守の話を最後まで聞かないで、もう一度進が怒鳴った。
「だって! オオクワガタは冬眠するよ! それに、このノコギリクワガタは
天然だから寿命が長いって、兄さんが言ったんだよ! 何年も生きるん
でしょう!?」 そうじゃない。養殖より長く生きるけれど、冬を越すことはないんだ。
ひと夏きりの命が、ここまで永らえたこと自体、長生きなんだと言おうとして、
守は口をつぐんだ。
素直な進は、寿命が長いと言った俺の言葉を、そのまま受け取ったのだ。
説明不足だった自分の責任ではないか。
ごめん、進。守がそういう前に、進は大声を上げ始めていた。
うわあぁぁーん。と、涙を拭いもせず、長く泣き続けた。
大切に見守られ続けた飼育箱は、今やただの柩と同じだった。

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