翼拡げて


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彼、その羽をもてなれおおいたまわん
汝、その翼の下に隠れん
その真実まことは 盾なり こだてなり
【詩篇 91篇4節】

 惑星間戦争も収まり“平和”と言う文字が似つかわしくなってきたある
日、アネッサはデスラーに いとまいをした。
「城を下がると言うのか。何故だ」
いつもの重みのある潤った声を、 下げたこうべの上から聞いた。
「タラン将軍に無理なお願いをして、 ここにとどまっていたのは、私が
閣下を憎んでいたからでございます。兄を――。あんなにもガミラスを
愛し、閣下を敬っていた兄を、貴方さまが見殺しになさったのだと
思っておりました」
「………」
「ですからこの目で確かめたかったのでございます。兄が命を捧げた
デスラー総統というお方が、死神に取り付かれた、ただの独裁者である
というのなら、共に果ててでも、敵を討ちたいと思っていたのです。
恩賞に誤魔化されなどしないでその正体を見たかった…」
デスラーが立ち上がり、その靴がアネッサの目の前で止まる。
「そのとおり。私は独裁者だった。ドメルを派遣し、殺してしまったのも
確かに私だ」
抑揚よくようのない声だが、 怒っていないことはその言いようで知れた。
「今は違います。閣下はヤマトに敗北し、白色彗星で屈辱と 辛酸しんさんを舐
め、生まれ変わられました。閣下は片時も人民のことをお忘れになら
なかった。今では貴方が人民の希望。貴方無しではこの星は成り立ち
ませぬ…。それが分かったのでおいとまするのです」
「アネッサ」
体が震えた。いつでもこの方が自分の名を呼ぶときには、身体全体が
おそれと畏敬いけいの念で震える。
「君にはまだここに居てもらいたい。このまま参謀として城に留まること
は出来ないのかね。ご両親が心配だと言うのなら、パレス内に住居を
移してもかまわぬ」
おそらく、デスラーから見てもアネッサの体が震えているのはわかる
だろう。
「私如きにもったいなきお言葉。感謝の極みにございます。けれども、
これ以上は…」
涙がはらはらとこぼれた。
かつて独裁者だったこの方が、命を削るように星の復興のために動い
ているのは、その過去の贖罪しょくざいの 為だと気付いてしまってから、ずっと
アネッサは苦しかった。
 平和な星を築き上げても、きっとデスラーの心が癒されることはない。
この方は真の王者。赦しを請うような方ではないのだ。
己の罪も血塗られた過去も、全てを受け入れてなお、 王者として
続けなければならないのだ。
そんな姿を見ているのが辛く、その心の内を想うだけで息が止まりそ
うに苦しかった。
兄なら、もっと力になれただろう。
デスラーの望むような形の補佐が務まっただろう。
でも、私ではダメだ。兄ほど強くない。
もう私に出来ることはないのだから、城を辞すのは当然だと思えて
ならない。
「何故泣くのだ?」
屈んだデスラーの膝が目の前に来た。広がったマントを捧げ持ち、そ
の裾にくちづけて、「数々のわがままを聞いてくださって、感謝して
おります。無礼をどうぞお赦しください」とアネッサは言った。
「君はいつでも私を心配してくれたではないか。泣くほどの心配事が
あるというのに、私には話してくれぬのか。叶うだけの願いは聞くと
約束しているであろう」
アネッサの胸の内に、これまで叶えられた数々の願い事が、次々と思
い出される。
 この星にガミラス人の移住が始まり、デスラーが総統として就任した
時、タランに頼み込んで、城で働かせてもらう事にしたのだった。
あの日から、デスラーの側で、兄が仕えたように、自分も仕えた。兄と
同じように、お側近くでお役に立てることが幸せだった。
「もう、私の願いは唯一つでございます。閣下が、ご健勝でお幸せに
すごされますように」
ああ、と小さくデスラーは呟き、
「それが、君の最後の願いだというのか―――。それを叶えるのは、
なかなか難しいな」
そう言って大きな手でアネッサの腕を取った。立ち上がりはしたものの、
泣き顔を見られるのはあまりに恥ずかしく、俯いたまま後ずさる。
「アネッサ」ふいに、アネッサはデスラーのマントに包まれた。
「君が、大ガミラスの母になれ。…そうでなければ、私は幸せになど
なれまい」
何を言われているのか分からなかった。
厚い胸の中で、強い腕に抱かれて、気を失いそうになっていた。
「君の最後の願いを叶えるには、君自身の協力が必要だと言っている
のだ」
「な、何をおたわむれに おっしゃっていらっしゃるのですか」
肺の中に空気を入れるのが精一杯の状態で、ようやく告げたアネッサ
の言葉に、デスラーは心外といった表情で答える。
「戯れなどではない。…私の妻になれと言っているのだ…」
私を? 閣下が私を妻にすると?
身体中の力が抜け落ち、その場に再び膝を付きそうになったのを、強
い力で支えられたが、アネッサの意識は遠のいていった。
 
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